キャバリア・リリー日記 幸せですか?(2007/12/10)
Cavalier, Lily
2004年6月24日
リリー誕生後、二ヶ月
すくすくと育って、我が家の一人娘
2006年6月1日
パパに付き合わされてさまざまな場所へ行っては写真撮影
2006年5月8日
お気に入りの場所は昭和記念公園
そんなある日大波乱があって、私たちはフィリピンへ引っ越すことが決まった
2006年10月18日
そして、フィリピンセブ島の生活が2007年1月12日からスタート
2007年3月18日 MoalBoalの砂浜
でも、なんとなく馴染める事ができずに寂しい日々が5ヶ月間続きました
2007年8月
しかし、なれない海外生活、日本と大きく違がう気候や文化のために大きなストレスをうけ、2月19日に体調を崩し、セブ島のPerpeturl Succour Hospitalに緊急入院。退院後も下痢だけは止まらず5月27日に検査の為に再入院。
そしてセブ島生活が始まってから5ヶ月間、会社とコンドミニアムの間の往復の毎日。
日本人、フィリピン人とも意識して人と合うことを避けて生活していました。
なぜなら、セブ島で出会う日本人は心貧しく、フィリピン人はとても心豊かに見えたからです。
そして日本のNHK国際放送が、少子高齢化や中高年や子供の自殺のニュースを伝えているのを見ながら「豊かさとは何か」を自問する毎日でもありました。
自分はエイリアンでありこの国には受け入れられないのではないか? そう感じて、リリーと共に帰りたいと5月には考え始めていました

そんな私をみて主治医DrTicsonはPerpeturl Succour Hospitalの精神科医DR.Mendozaを紹介してくれました。
DR.Mendozaのカウンセリングは当然英語ですが、不得意な英語でカウンセリングを何度もうけ、
「英語の辞書を買いなさい。その辞書を持って友達を作りなさい」と背中を押されたのが6月に入ってからでした。

そんなある日、日本食レストランで鈴木和博という人物に出会いました。彼は若くして脳梗塞で倒れ5年間セブ島でリハビリをしているという人物でした。私の昔の彼女が生まれつきの脳性麻痺で私も車椅子を押した経験があったためかすぐに打ち解けて、私の苦しい気持ちも相談しました。 そして彼の婚約者であるJossieさんが紹介してくれたのがUniversity of Visayasでbachelor of science and industrial engineeringを一緒に専攻しているGeraldine Pasagdan(以下Gigi)さんでした。2007年6月16日の事です。

リリーの子守、CheCheさんにも短い間でしたがお世話になりました

8月30日、日本に帰国
毎晩、Skypeでお話をしているけれど、一向に上手にならない私の英語と、Gigiさんの日本語。
なのに、微妙に会話が成立しているのはなぜなのだろう?
「how are you.What are you doing today?」から始まって、短くとも2時間は続く会話。判っているのか理解できていないのか微妙な事もありますが、
ひとつだけお約束事があって、「インターネットを使ったコミュニケーションでは喧嘩しないこと」、だってリカバリー不可能ですから。

そして、おそらくほかの人と大きく違うのが、インターネットのテクノロジーを使ったGigiさん側のパソコンのフルサポート。
ハードトラブル以外は、日本の私のパソコンからGigiさんのパソコンの画面を見ながら質問に答えたり問題解決をしたり。

昨晩も、購入してきたプリンターのセットアップを日本から行いました

おそらく1年近くは再会できない二人ですが、この先どうなることやら。
2007年12月09日  2007年12月22日
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