脳性麻痺の障害者との交流記
イラスト集

0 はじめに
1
2 出会い
3 会社の中
4 JTさん入社
5 町に出る
6 レストランへ行く
7 初めて車椅子を押す
  県庁へ行く
8 車椅子に乗ってみる
9 長距離ドライブ
10 ホテルに泊まる
11 電車に乗れない
13 インターネットと福祉
14 養護学校の見学
15 養護学校で講演
16 JTさんの障害の話
18 自動車教習所へ行く
18-0 手動式の車を運転する
18-1 町で見かけた車
19 盲導犬に出会う
22 運動会
23 雨の中レストランへ
24 ギロチン事件
25 災害避難訓練
26 幕張免許センター
27 葛西臨海公園
28 再び車椅子に乗る
29 電車に乗る(前編)
30 電車に乗る(後編)
30-1 鉄道会社の社員の声
31 蔵王のオカマ
32 買い物をする
33 リハビリへ行く
34 薬局での出来事
35 プールへ行こう
36 車椅子でハイキング
 (どうぶつ王国)
38 ふらっと東京湾巡り
39 車椅子の特訓
40 車椅子階段を昇る1
41 車椅子階段を昇る2
42 もしゆきが降ったら
43 東海道新幹線(1)
44 東海道新幹線(2)
45 踏切は恐い
46 野田市の福祉カー

考察
1 再びJTさんの障害の話
2 手を貸す勇気と貸さない勇気
3 リハビリについて考える
4 ハートビル法
レポート
ハワイ車椅子事情
ロサンゼルスレポート1
ロサンゼルスレポート2
ロサンゼルスレポート3

後書き
戻る

手伝う勇気、手を貸さない勇気

1999年7月13日

JTさんと出会ってから3年が経とうとしています。はじめてJTさんと話しをして、車椅子を押した時のことを思い返すとなんというか、戸惑と新しい体験の連続でした。
しかし初めのころは言葉に出来ないまま質問が頭の中を掛けめぐり1つ1つ言葉を選びながら話している自分が居ました。しばらくして「JTさんの障害者の事を知ってもらいたい」という強い意思を確認できた後はこのWEBにあるように質問の嵐、体験の連続でした。
そして日を追う毎に車椅子の扱い方になれ、町中のバリアのかわし方を覚え、野山に連れていく楽しみを覚えました。JTさんに付いて地元の福祉関係のイベントでボランティアをしてみたりと、今までの自分からは想像も出来なかった事です。そしていつの日からか、自分の目の前にJTさんが座った車椅子が無いことに違和感まで感じるようになっていました。

しかし、いつのまにかしてあげる事が当たり前になってしまったのです。

  • 車椅子を押す
  • 車椅子を車からを下ろす、載せる
  • クラッチを手渡す
  • 荷物を持ってあげる
  • ・・・・をしてあげる
こうしてみると、私は過剰なまでに手を出していたのではないかと思えます。
最近、本当にJTさんの意思反していないのだろうか?と思い悩むことがあります。
一緒に買いものをしている時に私が車椅子を押していたのではゆっくり見ることが出来ないだろうと、そっと車椅子から手を離し、「御自分でどうぞ」の一声を掛けられるようになったのは最近のことです。それでも陳列棚の上で品物が見ることが出来なければ、頼まれなくても脇に立って手にとってあげたりします。そしてそのまま車椅子を押してしまっています。

これはいつの間にか2人の間にパターンが出来た為だろう。この話しは別の機会に譲るとして、JTさんは車椅子に乗っているからといって私と比べて大きく劣っているようには思えないのです。

車の運転はできる。7月10、11日のばんえつ自動車道の運転は、ど うして堂々としたものであった。
会社での仕事もWindows95の上でWORDやPhotoshop,スキャナーを使いこなせるようになり、本人も自信が付いてきたことだろう。町中で行なわれた御輿まつりでは、人混みの中を車椅子を巧みに操り雑踏を軽やかに走り抜けた。

やれば何でも出来るのである。すくなくとも私はそうみている。

かといって、どうしても出来ない事もある。

  • 車椅子での段差越え
  • 高いところや下の物をとる。
  • 重い物を運ぶ。
  • 走る それはしかたない事であって、出来なければその部分だけそっと気が付かない程度に手を貸すのが理想なのではないだろうか?私はまだJTさんが家の中でどのような生活をしているのか良く知らない。それをまとめるのはプライバーシの奥底深く立ち入ることになりここで公開することが出来ないかも知れない。

    しかし

    JTさんの母親が

    娘に「町中でお願いします」と自分から声を掛けさせてみてください。
    上野さんは見ているだけにして、手出しはしないで娘みずから声をかけさせて下さい。

    といわれた言葉は今でも忘れることが出来ません。

    何かをしてあげる。はじめてJTさんに出会った時には、とても難しく勇気が必要に思えたことが、いまは当たり前になってしまいました。現在は手を貸さない勇気が問われているのかもしれません。